キラキラと静かに輝くネックレス。ガラスのような素材だけど、ビール瓶のような濃い茶色やラムネ瓶のような色とも違う、色数も多く、なんとも美しい色のグラデーション。このとても色鮮やかなアクセサリーは七宝焼。
この七宝焼に魅力を感じ、作品を作り続ける2人の女性がいます。今回は七宝焼クリエイターユニットhana*の連載記事を再編集し、七宝焼の世界を改めてご紹介したいと思います。
七宝焼とは何か?彼女たちは七宝焼の何に魅せられ作り続けているのか、ぜひ御覧ください。
七宝焼クリエイターユニットhana*の ふたり
七宝焼クリエイターユニットhana*のひとり、satsuiki*は東京ディズニーリゾートが大好き。それは年に3回は必ず足を運び、卒業論文として研究・発表するくらいに。宝塚歌劇やミュージカル観劇も大好きなIT企業に勤めるサラリーマンでした。
hana*のもうひとり、sakura*は美術大学で日本画を学ぶ大学生。来年の大学卒業とともに、hanaからも卒業予定とのことです。
そんな2人が「七宝焼クリエイター」として活動をスタートしてから、これまでのストーリーをsatsuiki*さんにご紹介いただきます。
七宝焼ってなに?
突然ですが、皆さんは「七宝焼」と聞いてどのようなものかイメージできますか?
もしかしたら学校生活で一度は身に着けたことがあるであろう「あるアイテム」が、七宝焼で作られていると言ったら、何か思いつきますか?
正解は校章やクラスバッヂです。議員バッヂや、役職バッヂとしてお仕事で身に着けられている方や花瓶や壺、銘々皿として見たことがある方もいらっしゃるかもしれません。
七宝焼の主な素材は金属とガラス質の釉薬。ちょっと大雑把なたとえですが、紙に絵の具で絵を描くように、七宝焼は金属の上に釉薬をそっと置いて絵を描くとイメージしてもいいかもしれません。釉薬を置いた後は、陶芸のように窯に作品を入れて、熱で素地の金属に焼き付けることで完成します。
私(satsuki*)が生まれた愛知県尾張地方は、江戸時代から七宝焼で有名な地域。特に尾張地方の七宝は「尾張七宝」とも呼ばれ、その繊細なデザインに多くの人が魅了されました。
でも、今では地元の友達でも「七宝焼って、なんだっけ?」と言うくらい、知っている人は少ないのです。
七宝焼の出合いと再会
七宝焼を知ったのは中学校1年生の時。七宝焼を学び、体験できる『あま市 七宝焼アートヴィレッジ』が開館し「夏休みの日記のネタになるかも」と思った私は両親にお願いして連れて行ってもらいました。
その時の体験教室の講師が平野敦子先生。実は平野先生は、母の従姉妹、そして平野先生のお父様は130年以上の歴史を持つ七宝焼の窯元・太田七宝の三代目ということを初めて母から教えてもらいました。「私の親戚に七宝焼の窯元がいたんだ・・・!」あの時の驚きは今でもよく覚えています。
それからしばらく経ち、新社会人として働きはじめた頃、太田七宝を訪れることがありました。お店に入った瞬間、私は驚きました。きらきらした素敵な七宝焼の作品がたくさん並んでいたのです。昔、体験で作ったストラップとは大違い。銀色が透けて見えたり、銀箔が入っていたりして光を反射している。「技術を身に付けたら、こんなに美しいものが作れるんだ・・・。こんな作品を作りたい!」
自分でもキラキラとした美しいアクセサリーを作れるようになるために、平日は名古屋で会社員として働き、休日は教室に通う新しい日々が始まりました。
何度も何度も繰り返し、技術を磨く
七宝焼で使用する釉薬は、カラフルなガラスの砂のようなものです。この釉薬を素地(金属の板)にのせて、約800度の高温で焼き付けて作ります。さまざまな技法がある中で、私が特に興味を持ったのが「有線七宝」です。有線七宝とは、素地の金属の板に細い銀の板を立てて模様を描く技法です。
作品の自由度は高く、完成すればとても美しいものになりますが、とにかく作業工程が多い上に技術も必要で習得するのに10年かかるとも言われています。何度も何度も練習を重ね、手に技術を覚えさせていくのです。
会社員から七宝焼の窯元後継者に
「伝統工芸の後継者として、本格的に勉強していかない?」
基礎的な技法を一通り学び終え、作れる作品の幅が広がりはじめたある日、師匠である平野先生言われたこの一言に、驚きと迷いを隠せませんでした。週末の習い事としてではなく、職業としてやっていくということ。そして、代々続いてきた窯元を、自分が継ぐということ。
七宝焼に限らず、ほかの伝統工芸にも共通することですが、作ることに手間がかかるわりには儲けも少ないため、生計を立てていくのは難しい。それでも、高祖父の代から100年以上続く伝統工芸をここで絶やしてしまうのはもったいないと思っていましたし、なにより、私の祖父や祖父の兄姉たちも、七宝焼を続けてほしいと願っていました。
周りを見渡しても、跡取りは私以外にいないんだということが「私がやらなくちゃ・・・」という気持ちにさせると同時に、大きなプレッシャーにもなりました。
でも、平野先生の「さつきは銀線を立てるのが上手い。もう少し極めれば、長年修行をしている職人さんにも負けない技術になるから、この世界に入ればその技術は必ず武器になるよ。」という言葉が悩む私の背中を押してくれたように思います。有線七宝は七宝焼を習おうと思ったきっかけだったので、この先、私の作品から七宝焼を知ったり、七宝焼を習いたいと思ったりする人が出てきたらいいなと思ったのです。
考えれば考えるほど、この美しい七宝焼の魅力をもっと多くの人に伝え、これからも残していきたいという思いが強くなり、私はついに「跡取りになる」と決心しました。
若者にも七宝焼の魅力を伝えたい、同じ思いをもつsakuraとの出会い
七宝焼の職人になると決めた頃、私はもっとキラキラした20代の女の子に手に取ってもらえるようなアクセサリーが作りたいと思い、新しいおしゃれなブランドを作ろうとしていました。
新しいブランドについて平野先生に相談した時「さつきに紹介したい子がいる」と言われました。紹介されたのは当時、美術系の高校に通っていたsakura*でした。彼女は小学生の頃から七宝焼を学んでおり、春には美術大学に進学することも決まっていました。
sakura*と話すうちに、平野先生が私に紹介したいと言った理由がわかりました。彼女も若い人が身につけるアクセサリーとしては、これまでの七宝焼では大きすぎるということや、同世代にもっと七宝焼を知ってもらいたいという、私と同じような思いを持っていたのです。
意気投合した私たちは「自分が使いたいと思うさりげない七宝焼」をコンセプトとし、七宝焼の美しさをもっと多くの人に知ってもらうために、クリエイターユニットとして一緒に活動をしていくことにしました。
それぞれの強みを生かした作品作り
同じ想いを持っている私たちですが活動をする中で、それぞれが持っている強みが生かされているな、と感じることが多々あります。作風にも大きな違いがあるので、似た作品になることはまずありません。
sakura*は美術大学で日本画を専攻しており、デザイン画を描いてから作品に取り掛かり、色使いやデザインの各所に学校で学んだことが生かされているなと感じることも多いです。私では思いつかないようなものばかりで、新作を見せてもらうのがいつも楽しみです。
一方、私はデザイン画をほとんど描きません。実際に銀線を立てて模様を作りながらおおよそのデザインを考え、色をのせていきます。釉薬は絵の具とは違って混色はできませんが、熱が加わると色が変わるものもあるため、今はいろんな色を使ってその違いを覚えながら作っています。
また、窯元後継者になると決める前から雑貨や手作りアクセサリーが好きで、プライベートでも手作りのお店が集まるイベントに出かけることも多く、全くジャンルの違う小物からヒントを得てデザインすることもあります。たとえばこちらの「七宝つなぎ」のペンダントは、刺し子と呼ばれる刺繍の作品が素敵だったので、七宝焼でも作りたいと思って生まれた作品です。
痛感した認知度の低さ、そして異素材との出合い
私たちが初めてお客様の前に立ったのは2017年の夏、ものづくりに興味のある人たちが集まる名古屋のクリエイターズマーケットでした。
イベントに参加して痛感したのは、七宝焼の認知度の低さ。七宝焼はその名の通り、上品で宝石のように美しい工芸品です。しかし、イベントで出会うお客様には「綺麗!」と言っていただけることはあっても、レジンアクセサリーと間違えられることも度々ありました。
レジンは透明度が高く、作り方によってはまるで七宝焼のように作ることもできるうえ、認知度も高く、材料も安価。そこで、両者の長所を組み合わせたデザインができないかと考えてみることにしました。もしかしたら、今の時代だからこそ作れるような良い作品になるかもしれないという希望を持って、試行錯誤を続けています。
その他にも七宝焼という工芸をお客様にどう伝えるか、最近はイベント時に銀線を立てる実演やSNSに制作過程を掲載し、少しでも七宝焼の魅力を知ってもらうために、できることから試行錯誤しています。小さな一歩ですが、私たちがより良いものを作り、少しでも長く活動を続けることが七宝焼の未来を作ることだと信じて、活動しています。
「作ってみたい」の気持ちを大切に挑戦しつづける
私のように普通のサラリーマン家庭に育ち、普通の大学を出て一般企業に就職した後に、伝統工芸の職人を目指す人間はごくわずかでしょう。後継者を目指すと決めた当初、美術大学で専門的に学んできた職人さんが多い中にほぼ無知で飛び込むは苦しく、劣等感を感じていました。
でも、今ではそれは強みに変える事ができると気づきました。知らないからこそ、何の先入観もなく「こういうものが作りたい」と言い切ることができるからです。ありがたいことに、平野先生は私が提案したことを否定せず、どうやったら実現できるかを一緒に考えてくれ「やってみなさい」といつも背中を押してくれます。
2018年の夏から、彫金の勉強も始めました。金属加工の基礎を学び、「ジュエリーの宝石部分を七宝に置き換えたようなアクセサリーが作れたらいいな」という思いからです。宝石よりも多彩な表現ができる七宝焼と彫金を融合させたら、きっと素敵なものができると思います。七宝焼も彫金もまだまだ勉強中なので、本当に実現できるのか、どれくらい時間がかかるのかもわかりません。でも、「こういうものを作ってみたい」というものづくりの根本にある気持ちを大切にして、これからもいろんなことに挑戦し続けていきたいと思っています。
もっと七宝焼の魅力を知りたい方はこちらも!
今回ご紹介したのは、七宝焼のほんの少しのこと。2018年にsatsuiki*さんの連載記事でもっと七宝焼の魅力を知っていただけたらと思います。この機会にぜひ、七宝焼の世界をのぞいてみませんか?きっと新しい伝統工芸と出会えますよ。