愛知の友達でも知らなかった「七宝焼って何?」―平成世代がアップデートする伝統工芸【第1回】

愛知県津島市に、明治20年より130年以上にもわたって代々継がれてきた窯元・太田七宝の本店はあります。その工房では、平成が終わろうとしている今日も、七宝焼と呼ばれる工芸品が古代エジプトから伝わる方法で作られ続けています。

太田七宝本店の商品棚の一角に、ひと際目を引くアクセサリーコーナーがあります。そこに並ぶのは、「伝統工芸品です」というしたり顔などすることなく、きらきらと清楚に輝く七宝焼のネックレスやピアス。着物や浴衣には間違いなく合いそうで、現代の女の子が日常的に着る洋服にもなじむようなデザイン。

それもそのはず、アクセサリーのデザインと制作をしているのは、平成生まれの女性2人組でした。

この連載では、七宝焼クリエイターユニットhana*として活動しているsatsuki*さんが、伝統を受け継ぎながら「今」の時代のクリエイションをしていくことについてお話してくださいます。

七宝焼クリエイターユニットhana*

satsuki*
1991年、愛知県津島市生まれ。大学時代は情報理工学を専攻。2014年に名古屋のIT企業に就職し、スマートフォンのアプリ開発やロボットアプリ開発に関わる。2017年、株式会社太田七宝へ入社し、七宝焼の窯元後継者として修業中。趣味は、ディズニーに行くこととミュージカル観劇。

sakura*
1998年、愛知県あま市七宝町生まれ。美術大学にて日本画を専攻する現役大学生。幼い頃より七宝焼を習い、現在はsatsuki*とともに七宝焼アクセサリー制作を行っている。趣味は、いつも通る道できれいだと思った所をスマートフォンで撮ること。

はじめまして。今回hana*を代表して連載を書くこととなりました、satsuki*と申します。

突然ですが、皆さんは「七宝焼」と聞いてどのようなものかわかりますか?多くの方は、すぐにイメージがつかないかもしれません。(ちなみに読み方は、しっぽうやき、と読みます。)

でも、日本で学校生活を送ったことがある方であればきっと一度は身に着けたことがあるであろう「あるアイテム」が、七宝焼で作られていると言ったら、少しは身近に感じて頂けるのではないでしょうか。

その「あるアイテム」とは、何でしょう?少し、考えてみてください。

 

・・・

 

答えはこちら。

そう、校章やクラスバッヂです。

議員バッヂや、役職バッヂとしてお仕事で身に着けられている方も多いかもしれません。

焼き物なので、他にも花瓶や壺、銘々皿などといった大きな芸術作品も作られています。

愛知の同級生もよく知らなかった、七宝焼

私の生まれた愛知県尾張地方(現在の名古屋市周辺)は、江戸時代から七宝焼で有名な地域で、後に町の名前の由来にもなりました。七宝焼製造の中心地となっていた地域が「七宝町」となり、現在も数件の窯元が残る七宝焼の町として知られています。

それでも、です。

私が七宝焼のことを友達に話すと、「七宝焼って、なんだっけ?」と珍しそうに聞き返されることがほとんどです。愛知の子たちでも、よく知らなかったんです。

初めての七宝焼体験は、夏休みの携帯ストラップ作り

中学校1年生の夏休みの時のこと、七宝町に七宝焼アートヴィレッジが開館しました。夏休みの日記のネタになるかもと思った私は両親にお願いして連れて行ってもらい、そこで初めての七宝焼体験をすることになりました。

ちなみに、その時に作ったのがこちらのストラップです。

そこで講師をしていたのは、太田七宝の平野敦子先生です。実は平野先生は、母の従姉妹でした。その時母が初めて教えてくれたことなのですが、平野先生のお父さまは代々続く七宝焼の三代目窯元で、「つまり、私の親戚に七宝焼の窯元がいたんだ!」と驚きました。

私が通っていた小学校と中学校の校章やクラス章も太田七宝で作っていると聞き、みんなが毎日学校でつけているバッヂを作っているのは自分の親戚の会社だったのだと、誇らしく思ったことを覚えています。

あの時作ったストラップより、もっときらきらした素敵な作品を見つけてしまった

私が大学を卒業して名古屋のIT企業で働き始めた頃、母が太田七宝のお店を手伝いに行くようになりました。ある日私も一緒にお店を見に行ったのですが、その時衝撃を受けました。きらきらした素敵な作品がたくさん並んでいたのです。

七宝焼と言っても、中学生の時に参加したストラップ作り体験で作ったものとは何かが違う。よく見ると、銀色が透けて見えたり、銀箔が入っていたりして光を反射している。

「技術を身に付けたら、こんなに美しいものが作れるんだ・・・。こんな作品を作りたい!」

そう思い立った私は平野先生の七宝焼教室に通うことに決め、平日は名古屋で会社員として働き、休日は教室に通うという日々が始まりました。

実際に教室に行ってみると、生徒さんは私の母親と同世代くらいか、それ以上の年代の方が多かったと思いますが、皆さん私のことを娘のように可愛がってくれました。

念願の七宝焼のレッスンが始まった

教室ではまず、七宝焼の絵の具である釉薬(ゆうやく)の下準備を教わりました。七宝焼で使用する釉薬は、きれいな色つきガラスの砂のような形状です。この釉薬を素地にのせて、およそ800度の高温で焼き付けて作ります。

一つ一つのレッスンを通して少しずつ、色を付けたり、模様を作ったり、銀箔を使う方法など、さまざまな技法を習いました。


銅素地に釉薬をのせているところ(施釉)。上手くのせなければムラができ、仕上がりがでこぼこに。

その中でも、私が特に興味を持ったのが「有線七宝」です。特に尾張地方は、繊細な模様を持つことが特徴のこの有線七宝で有名になりました。

作品の自由度は高く、完成すればとても美しいものになりますが、とにかく作業工程が多い上に技術も必要で、習得するのに10年かかるとも言われています。教室でも、やり方を先生が言葉で教えると言うよりは、何度も何度も練習を重ねるうちに手が覚えていくといった感覚です。

教室に通い始めてわかったことは、ひとつひとつの工程に重要な意味があって、どれも手を抜けないということです。

また、窯の種類や年数によって焼く時間の長さは異なりますし、作品の大きさや素材だけでなく、釉薬の色によっても、焼成温度が変わったりします。

習い始めて1年間は、窯で焼く工程は一人ではやらせてもらえませんでした。先生が隣について窯に入れるタイミングも、出すタイミングも教えてくれ、私はとにかくその「感覚」を覚えていきました。今はほとんど一人で焼きますが、焼きすぎて色が綺麗に出なかったり、窯に入れる時間が短すぎて表面がでこぼこになってしまったりと、失敗することは多々あります。細かくメモで残しても、条件が一つでも変わればあまり役に立たず、「こうやって身につけるのがいわゆる職人技というものなのか」と痛感する日々です。

―――

第2回に続きます。
→「会社を辞めて職人修行をすることを決めた理由」

ライター

satsuki*
satsuki*
七宝焼アクセサリークリエイター。1991年、愛知県津島市出身。窯元後継者として修業中。卒論でディズニーシーの最適な回り方について研究するほどディズニーが大好き。ミュージカル観劇が趣味。