ピアスにヘアゴム、イヤリングにバレッタ、さらには節句の飾りまで。これは私が最近見つけた水引のアイテム。水引と言えば、冠婚葬祭のような人生の節目で、人に想いを届けるものとして使うことが多いですが、この水引を使って現代の暮らしによりそう水引作品を作る作家さんがいます。
今回は水引で日本の四季・文化を感じる作品を生み出す田中杏奈さんに、水引の魅力と可能性についてお伺いしました。
水引との出合いは突然、文具店で
――水引をやってみようと思ったきっかけはなんですか?
2016年に息子が生まれた時、文具店でたまたま水引の手芸本を見つけたのが水引との最初の出合いです。本の付録に水引が数本付いていて、すぐに結び始められるようになっていました。その入っていた水引がとても色鮮やかで美しくて「水引ってこんなたくさんの色があるんだ!」と驚いたことは今でもよく覚えています。
もともと日本文化には興味があったんです。自分の結婚式で永く継承されてきた伝統に触れ、日本文化って素晴らしいな」とその想いを強くしました。
ちょうど文具店で水引に出合ったすぐ後に、息子のお食い初めが控えており、その過程で初めて知ったことがたくさんありました。日本のしきたりや習わし、お食い初めの儀式や食材、道具などに込められた子どもへの願いなど、その奥深さに心惹かれていきました。この時に水引で箸袋や鯛飾りを作ったことが、水引を本格的に始めてみようというキッカケになったのです。
水引はさまざまな「気持ち」を具現化したもの
――田中さんが感じる、水引の一番の魅力は何ですか?
素材の美しさ、無数にある色、結びの技法、結びの種類の多様さなど魅力はたくさんあります。その中でも一番の魅力は日本人が古来より大切にしてきた「贈る」・「包む」ための伝統文化であること。おもてなしの心やお祝い、お礼の気持ちを大切にしてきた日本人の精神性をそのまま具現化したような文化だと思います。
伝えたい想いに合わせて、水引を選ぶ
――作品に込める想いをお聞かせください。
日本の素晴らしい手仕事や伝統文化、四季の巡り、人々の営みから生まれた習わし、年中行事をより多くの方に知ってほしい、そして後世に繋いでいきたいと考えています。古い文化と新しい文化がともにある暮らしが、現代の人々の心を豊かにすることを願いながら、日々活動を行なっています。
――そのなかで素材や材料、見せ方などでこだわっていることもあるのでしょうか?
はい。水引は日本一の水引産地、長野県の「飯田水引」と、独自の色彩が美しい「京水引」を使用しています。合わせて使用する紙は、作品や内容に合わせて、和紙・洋紙を使い分けています。
制作する時は「何を表現し、伝えたいか」をまず考え、それが実現できるよう水引の素材や色、結び、形、合わせる紙や他の材料を一つ一つ丁寧に選んで組み合わせています。その際、大切にしていることは、それぞれの本来の素材や色の美しさ、しなやかさ、存在感が損なわれないようバランスを取ることです。
日本の美しい暦の概念をテーマにした著書「水引で結ぶ二十四節気の飾り」では節気に合わせた24点を制作しました。これらの作品は季節を追うだけではなく、素材を見せたい作品、色を見せたい作品、水引の多様さを見せたい作品、文化を伝えたい作品、営みや情緒を伝えたい作品など、伝えたいことや想いをそれぞれの作品に込めながらデザイン・制作に取り組みました。
どう生きたいか?を考えた結果、今の生き方に
――水引はどこかで習われたのでしょうか?
独学です。最初は水引の手芸本を片っ端から購入して、掲載されている作品をひたすら作っていました。ただ、本には結び方の解説はあるものの、その結び方がどんな意味を持っていて、どんな歴史があるのかなどの文化背景が詳しく掲載されているものはなかったんです。
そこで「水引」や「結び」に関する文献を手当たり次第に読んで、少しずつ勉強してきましたが、もともと水引は口伝の文化なので、文献自体がとても少ないのです。しかも長野の飯田水引、愛媛の伊予水引、金沢の加賀水引、京都の京水引など各地で独自の文化として発展してきたこともあり、自分の納得いく学びには繋がりませんでした。今はそのルーツを知りたくて、専門家の先生のところへ学びに通っています。
――独学とはすごいです。水引をはじめた当初から作家として活動されていたのですか?
作家として活動しはじめた時は、会社員とのダブルワークでした。息子が生まれてからは、家事と育児と仕事に追われる日々を過ごしていました。1歳の息子を長時間保育園に預ける後ろめたさ、勤務時間中の保育園からの呼び出しや時短勤務での周囲への申し訳なさ、会社の中での自分の役割の変化、そして想像していたよりはるかに少ない息子との時間に「本当にこれでいいのか」と悩み続けました。
ある平日の朝、ぐずる息子に急いで朝ごはんを食べさせ「早く早く!」と声をかけながら、ようやく保育園へ預け、駅まで走り、ヘトヘトになりながら通勤電車に飛び乗った時「あ、会社員辞めよう」と思いました。息子との時間や家族との時間をもっと大切にし、余裕を持ちながら自分にしか表現できないことを発信して生きていきたい、そう決意したことが今の生き方・働き方に繋がる転機になりました。
退職してフリーランスになること、水引教室開講を決めたきっかけは、まだ在職中に手掛けた著書「暮らし・行事・ハレの日を結ぶ水引レシピ」を出版して自信がついたことも大きいです。「何かを表現して発信したい、それが日本文化に関わることだと嬉しいな」という漠然とした考えはもともとありました。そのツールとしてたまたま水引に出会い、水引の魅力をより多くの方へ知ってほしいと思い、教室もやってみようと考えました。
――実際に作家活動、お教室をスタートさせていかがでしたか?
一番大変だったのは、日々新しいことを発信し続けなければならないこと。ただ、それに専念したくてフリーになったので、自分が最もやりたいことである反面、最も苦しく大変な事でもありました。
正直、会社員時代より忙しくなってしまいましたが、家族との時間も自由に取れるようになり、とても充実して楽しく生き生きした毎日が送れています。
守るだけでなく、攻めの気持ちで
――今までの活動の中で気付いたこと、印象に残っている出来事はありますか?
活動していく中で気付いたのは「伝統文化だからこそ新しいことを取り入れながら発信しなければならない」ということです。
できる限り現代の暮らしの中へ取り入れやすいよう、伝統文化をより身近なものに感じていただけるような企画・制作を心がけるようになってから、生徒さんの反応も良く、水引に興味を持ってもらえる方が増えました。
特に印象に残っているのはバレンタインのラッピング教室を開講した際、20代〜同世代の女性がとてもたくさん参加してくれたことです。若い世代は「水引は古臭いもの」と印象を持っているのではないかと考えていた私にとって、これはとても新鮮でした。
情報があふれ、自分で必要なもの好きなものを取捨選択しなければならない現代だからこそ「古い・新しい」という概念は薄く、響く人には響くし、年代は関係なく「良いものは良い」としっかり受け入れられるんだなと感じました。
だからこそ、伝統文化を永く継承していくためには、新しい感性を取り入れながら大切に残していくことと、新しいアイデアを組み合わせ、その時代の暮らしに寄り添った提案が求められていると改めて強く感じたのです。
後世に伝えるために新しいチャレンジを
――今後、挑戦してみたいことはありますか?
新型コロナウイルスに晒された現代の暮らしに合わせ、お教室含め、オンラインでできることを模索できればいいなと思っています。そして、水引がいつの時代も暮らしの中へ取り入れられる伝統文化となってほしい、日本の素晴らしいおもてなし文化として、より多くの方に水引の魅力を知っていただきたいと考えています。
現代では人との繋がりが希薄になり、コミュニケーションの形が確実に変わってきました。結婚式のご祝儀袋ですら、簡素化されることもあります。「包む」の文化はもしかしたら、そんな今の時代にそぐわない文化なのかもしれません。
しかし、大きな災害やウイルスのような脅威が私たちを襲った時、たびたび思い出されるのは、誰かと繋がり、助け合わなければ、私たちは生きていくことができないこと。そう考えたときに人を想い、贈る、水引の文化は残すべき文化であるし、必ず後世に伝えていかなくてはならない文化であると、私は強く思います。
手作りキットで「水引」を暮らしの中に
――「新しいチャレンジ」の一つとして手作りキットも考案されたのでしょうか?
そうですね。日本の素材に触れ、日本の色を知り、繊細に移り変わる日本の四季を感じながら、一本一本、丁寧に結んでいく有意義な時間を過ごしていただきたいという想いでキットを作りました。
2020年4月から「四季を楽しむ十二ヶ月の水引キット」として季節に合わせた水引キットの販売をスタートしました。初心者の方でもご自分のペースで結びの練習がしていただけるよう、水引の扱い方の基本、基本の結び、複数本で結ぶ時のコツなど、丁寧に収録しています。
これまでに「端午の節句」、「紫陽花の金封」、「七夕飾り」をテーマにキットを販売してきました。今後もさまざまな日本の四季を感じるキットを販売予定です。ぜひ、暮らしの中に伝統工芸・水引のある生活を実感していただければと思います。