小さなブーケを愛用のゴブレットに活けてみる。覚えたてのカリグラフィーでカードを書いてみる。毎日は、小さな「何か」の積み重ねで、一歩ずつ、素敵に近づいていきます。ほんの少し手をかけて迎える明日は、今日よりもっと愛おしい。これはそんな暮らしのシーンと、心がときめく瞬間を追いかけたショート・ストーリーです。
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自分自身にどう折り合いをつけていったらいいか、ときどき迷う。あるときはお母さん、あるときは妻。会社に行けば、部下になったり、上司になったり。いろんな顔がありすぎて、いったい自分は何者なの? 立ち止まって考える余裕もないまま、めまぐるしく過ぎてゆく毎日。日々をこなすのがやっとの自分がそこにいる。
人それぞれの「わたし時間」。どう作る?
自分自身を見つめ直すためには、一日の中でほんの少しでもいいから「わたし時間」を持てばいい。誰かのための自分ではなくて、わたしのための自分に戻れる時間。そのことに気づいたのは、ごく最近のこと。
「わたし時間」の持ちようは人それぞれ。ある人は瞑想をするかもしれないし、ヨガをする人だっていると思う。
キャンドルを灯す時間で、心と体をリセットできる
すんなりと習慣になるような「わたし時間」を見つけたい。何かいい方法はないものか。つらつらと思いあぐねていたとき、キャンドルがもたらすリラックス効果のことを知った。
「キャンドルを灯す時間は、日常から離れて心と体をリセットする『非日常』の時間。一日の終わりにキャンドルを灯すと、揺れる炎が一日の疲れを癒してくれます」
これはキャンドル作家のMomokoさんの言葉。「リセット」、「非日常」・・・それって「わたし時間」にぴったりかも。
空間を照らすという実用面では、とっくの昔に照明という文明の利器に取って代わられたキャンドル。自分自身を見つめ直すとき、人類が最初に手にした「火」に立ち戻ってみるのも悪くない。日常にキャンドルを迎え入れることで、ありのままの自分の姿が現れる気がした。
「キャンドルを育てる」という愉しみを知る
さっそくキャンドルを灯してみる。まずは家に眠っていたシンプルなグラス入りで。周囲に燃え移りそうなものがないか確認して、ドキドキしながら火をつける。
するとどうだろう。室内は無風のはずなのに、ゆらゆらと炎が揺れる。まるで生きているかのように。このキャンドルの炎は、「1/f(エフぶんのいち)」の揺らぎといわれ、規則正しさと不規則さがちょうどよいバランスで調和したパターンなのだという。波のさざなみや小川のせせらぎと同じように、リラックスした状態にいざなってくれるらしい。
炎は大きくなったり、小さくなったりしながら、芯のまわりのロウを溶かし、水たまりみたいになった。
灯し続けることでキャンドルの形状は変化する。全体がぼんやりと明るくなるまで灯すことを「キャンドルを育てる」というらしい。和食器も、使ううちに貫入が入り、表情が変わっていく様子を「器が育つ」と表現する。キャンドルも同じなのかぁ。なんだか親しみがわいてきた。
毎日、数分でもいいから、少しずつキャンドルを灯してみよう。そうすることでキャンドルも、わたしらしく“育って”いくような気がして、ますますキャンドルが「わたし時間」の大切な伴走者に思えてきた。
自分で作るならボタニカルキャンドルという選択肢があった
以来、毎晩、キャンドルを灯すのが習慣になった。着火すると炎がシュッと顔を出し、「今日1日、お疲れさま」とねぎらってくれるかのようだった。
そんなふうに火を灯し続けたキャンドルは、ずいぶんと育って形が変わり、そろそろ次の伴走者にバトンを渡したがっているように見えた。
今度のキャンドル、自分で作ってみようかな。灯さないときも、見ているだけで幸せな気分になれるようなものを。季節の花々を閉じ込めボタニカルキャンドルなら、その願いを叶えてくれそう。
ボタニカルキャンドルは、火を灯す土台となるキャンドルの層と、植物を入れる外側の層の2層からできている。自分で作れば、この外側に入れる植物を自由に選べて、思うままにデザインできる。
選んだのは、ピンクのドライフラワー。ピンクは心を穏やかにしてくれる癒し効果が高い色だと聞いた。
ついに完成した、わたしのボタニカルキャンドル。甘すぎない可愛らしさは、お気に入り小物との相性もよさそう。キャンドルがインテリアアイテムとしても人気なのがよくわかる。
お手製のキャンドルを、毎日、少しずつ灯す「わたし時間」の贅沢なひととき。愉しみが広がるなあ。全体がぼんやりと明るく、ランタンみたいになる頃には、きっと季節も動くはず。そうしたら、お花を変えて新しいキャンドルに挑戦しよう。お部屋の模様替えと一緒に。
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このストーリーの題材となった、ボタニカルキャンドルは、「わたし時間のボタニカルキャンドル」のキットとして、Craftie Homeで販売しています。