化粧品メーカーでのデザイナー時代に目の当たりにした大量生産、大量消費のサイクルに疑問を持ち、「買う人も、作る人も、みんなが幸せになれるものを作りたい」という想いからandu amet(アンドゥアメット)を立ち上げた鮫島さん。
ブランド設立当初から販売しているバッグをはじめ、エチオピアの柔らかな高級シープスキンを使用したandu ametの商品は「ひととせ」を意味するブランド名の通り、年を重ねて使えば使うほどに深まる魅力があります。さらに、生産からお客様に届くまでの過程すべてにおいて、社会や環境へ配慮がなされているそうです。
現在鮫島さんは、直営工房を持つエチオピアと、本社がある東京とを行き来する生活とのこと。起業家としても国内外から注目され、ぎっしり詰まったスケジュールをこなしながらも、ものづくりに丁寧に向き合うその真摯な姿勢からは、揺らがない信念と、ものを作ることへの敬意を感じます。そんな鮫島さんがandu ametのバッグ作りにどんな想いを込められているのか、お話を伺いました。
インタビュー・編集:瀬戸愛佳(Craftie)
現代美術が大好きな学生時代を経て、職業としてのデザイナーに
——起業家として有名な鮫島さんですが、化粧品メーカー時代も、青年海外協力隊として派遣されたアフリカでもデザインのお仕事をされていて、デザイナーとして長いキャリアをお持ちですよね。デザイナーになろうと思われたきっかけは何だったのでしょうか?
鮫島:物心ついた時から絵を描いたり、粘土で何か作ったりして遊ぶのが好きで「自然とデザイナーになった」という感じです。家族もクリエイティブなことが好きな者が多くて、父は陶芸にはまっているし、祖父母はよく、二人で水彩絵の具とスケッチブックを持って色々なところへ旅行していました。気に入った景色を見つけるとそこで車を止めて絵を描いたりしていたようです。子供の頃に私が着ていた服は、祖母が縫ったり編んだりして作ってくれたものでした。
——子どもの頃の遊びや、ご家族の影響が大きかったのですね。学生時代もアートを学ばれていたとのことで。
鮫島:専攻が現代美術だったんです。インスタレーションとか映画とかを作っていました。いわゆる「ファインアート」と「デザイン」って、業界の外から見ると似た世界に映るかもしれないけど、制作のゴールも、産業の仕組みも、そして属する人種も結構違うんですよ(笑)。もともと現代美術が好きでその道に進んだけど、それではなかなか食べていけないという現実を知って、就職ではデザインの道へ進みました。
アフリカで見つけたandu ametの原点。デザインが秘める力と、ビジネスに出来ること
——化粧品メーカーでのデザイナーを退職し、アフリカに渡られたのはなぜだったのですか?
鮫島:当時は大量生産・大量消費のファストファッションの黎明期。私が入社した年、その会社では今まで日本で作っていたものを全て、中国の工場での生産に切り替えました。年々ものづくりのサイクルは短く、単価は安く、なのに発売数は増加していって、これで本当にいいのかな?と疑問を持ち始めたんです。「私が残業をしてまで一生懸命作っているものは、半年後には飽きられて、新しいものと入れ替わって捨てられるんだ・・・」と。
今でもファッションやビューティ製品は半年とか3ヶ月とかで商品が入れ替わりますよね。古いものはセール、それでも売れ残れば廃棄。でもそういうものは自然と型落ちになるんじゃなくて、そういう風に仕向けられているんですよ。自然と時代遅れになるんじゃなくて、わざと時代遅れに見せて、どんどん新しいものを買わせる。でもそれが誰も幸せにしない仕組みだと思えて仕方がなかったんです。数ヶ月後に価値がなくなるものを買わされる消費者も、そんなものをすごいスピードで次々作るデザイナーも、売れなくなったものをお金をかけて廃棄するメーカーも。
なりたくてなったデザイナーでしたが、学校の先生や国境なき医師団の人の話を聞くにつけ、流行を追いかける自分の仕事に誇りを持てなくなっていきました。「私は何なんだろう?もっと、人の役に立つような仕事をしたいな。でも、私にはデザイン以外なにも出来ないし、デザインの仕事は好きなのに、どうしよう」そう思い悩んで、色んな人に会って話を聞いたりしていたら、その時、青年海外協力隊でデザイナーとして途上国で仕事が出来ることを知りました。
——デザイナーとして派遣されたエチオピアで、シープスキンに出会われたのですね。
鮫島:実は最初に見た時は、期待外れでした。事前に調べて「エチオピアは革の産地」と聞いていたけど、実際に見せてもらったところ全然良くなかったんです。2004年にエチオピアでファッションショーを企画して、私がデザインした服を現地の職人たちと一緒に作ったのですが、本当に良いレザーにやっと出会えたのはその時でした。途上国ではよくあることなのですが、本当に良いものは換金できるため輸出用になっているので、国内市場ではなかなか見かけることがなかったんです。
——そのレザーは他とどんな風に違ったのですか?
鮫島:もともとファッションもレザー製品も大好きだったので、それまでもたくさんの革を見てきましたが、「こんなに良い革は確かに見たことがない!」と驚きました。赤ちゃんのほっぺたのような、しっとり、ふんわり、吸い付くような肌触り。しかも軽くて丈夫。
これは良いなと思い、そのエチオピア産の革なども使ってファッションショーをしたんです。いろんな人に協力してもらいながら、エチオピアの素材、エチオピアの職人、エチオピアにある機械だけで50型の服と靴を作りました。当時は今より物もなく、インフラも整っていなかったので準備は大変でしたが、蓋をあけてみると大成功で、大使館からも表彰されたり、多くのメディアに掲載されたりと高い評価を頂けました。そのことを、ショーを手伝ってくれたエチオピア人たちがものすごく誇りに思ってくれて。「エチオピアの技術や素材ではいいものは作れない」とか「弘子は外国人だから出来るんだ」といつも言っていた彼らが「自分たちにもこんなにすごいものが作れるんだ」と。顔つきも変わった。2年間活動していた中で、ずっと自分の心の中にあった「援助慣れ」の問題に対するヒントが、自分の中に見えてきた瞬間でした。
——すごい・・・感激してしまいました。「持っている素材や宝物を最大限に生かす」ことにおいてデザインやアートができることの大きさを感じます。
鮫島:その後ガーナの学校で教師も経験したのですが、その時は、市場にたくさん売っていたローカルビーズに少しデザインを加えて、生徒たちと一緒にネックレス等を作って、外国人のよく来るカフェやJICAの事務所なんかで売ってもらったんですね。そうするとやっぱり良いものから売れていきます。売上は全部生徒たちに還元していたので、みんなすごくやる気が出てきて、学校を遅刻したりさぼったりしていた子たちが毎日学校に来るようになり、休みの日にまで来るようになって。授業が終わった後も、「ティーチャー!これとこれは何が違うの?こうするにはどうしたらいいの?」と質問してきたり、目の色を変えて真面目に授業にも出るようになったり、生活態度も変わっていきました。それを見て、「ビジネスには、援助とはまた違う可能性があるんだな」と思いました。今考えると、これらの出来事が私のビジネスの始まりでしょうか。
長く使えて大切にされるものを作りたい
——これをビジネスとしてやっていこうと決められた時、エチオピアレザーのブランドにすることはすぐに決まったのですか?
鮫島:ガーナのビーズやテキスタイルなど他にも候補はあったのですが、もともと革が好きでしたし、革は使えば使うほど良くなる、数少ない素材のひとつ。「長く使えて大切にされるもの」というコンセプトが先にあって、それに合うということで、レザーにしました。
——バッグのデザイン面で、大切にされているコンセプトは?
鮫島:まずはじめから流行とかマーケティングとかは無視しようって思ってました(笑)今、服もバッグも同じようなものが市場に溢れていますよね。流行ものや、誰もが手に取りやすい無難なもの。自分自身、ユーザーとしてそういうものにあまり愛着が持てなかったというのがありますが、それ以上に、ビジネスとしてそういうものを作っても大量生産型の大規模工場には資金力で勝てないと思いました。だから、オリジナリティを追求しよう、好き嫌いは分かれるけど、好きな人にはandu ametのバッグ以外は欲しくないと思っていただけるようなオンリーワンのデザインにしようと。
——andu ametのバッグは、まさにオンリーワンなデザインが魅力ですよね。デザインのインスピレーションは何から得ていらっしゃいますか?
鮫島:デザイナーの私は日本人で、作るのはエチオピアの職人たちだから、日本とエチオピア、その両方の美しさをデザインに取り入れようと決めました。旅する中で見た美しい風景や、長い歴史の中で育まれたユニークな文化、女の子たちが着ている民族衣装の華やかな色彩など、たくさんのインスピレーションを彼の地からもらっていますし、日本の伝統工芸の技法も参考にしています。それらを自分の中で一度咀嚼し、身につけた人が、そのカラーリングや形、そして触り心地で元気になったり、癒されたりするようにとの思いを込めながら絵に起こしていきます。
——デザインはすべて鮫島さんが?
鮫島:そうです。デザインしている時が一番楽しいですね(笑)。
長い乾季が明け、雨の訪れとともに大地に色鮮やかな花々が咲き始めるアフリカの大地をイメージしてデザインされた「bloom」
職人たちが変わっていく姿は、エチオピアの未来を見ているよう
——職人さんはどのようにして教育されているのですか?
鮫島:最初は私が日本の職人さんから色々教えてもらったことを伝えていましたが、あるタイミングで日本人の職人さんを現地に呼び、つきっきりで教育してもらいました。最初の一人の職人を育て上げて、商品になるレベルのものが出来るまで2年くらいかかりました。始めた当初は、「なぜこんな細かいことまでチェックして怒られるのか?」「弘子は私のことが嫌いだからいじわるしているんだ」という反応で、泣いたり喧嘩したりしたこともありました。でも、何回も叱って何回もほめてを繰り返しながら育ってきた職人さんたちが、今は若い子を育てられるようになりました。
エチオピアって、自分の技術を他の人に教えたら自分の価値が下がってしまうという考えからあまり他人にシェアする文化がないのですが、弊社の職人たちは、技術を伝授していくことが自分のためにも周囲のためになると言ってオープンに新人に教えてくれるので、それはすごくありがたいですね。
——職人さんたちの仕事観やものづくりに対する想いは、変わっていっていると感じますか?
鮫島:感じます。そこにやりがいを感じます。エチオピアはこれからさらに人口も増え、教育レベルも上がっていくでしょうからその変化は加速するでしょうね。未来を感じます。ちょっといま日本では感じられないような感覚がありますね。
——日本のお客さんに喜んでもらえるクオリティのものづくりが出来る職人を育て上げるのは本当に大変なことだと想像するのですが、職人さんは「ここではこのレベルでやらないと叱られる」という風に覚えていくのか、それとも、ものづくりのマインドセットとして「これがいいものだ」とわかる感覚が身に付いていくのでしょうか?
鮫島:両方あると思いますが、前者だけでは伸びしろは限られます。例えばですが、職人さんたちは、道具の質の違いはすぐにわかるんですね。日本から持ってきた裁ちばさみを使わせると、すごくよく切れるし長く使っても壊れないので驚かれる。エチオピアの市場で売っている安物のはさみだとすぐにネジが緩んできたりするから、パッと見が一緒でも精度が違うということがあるんだと、値段が高くてもしっかり作られているから価値があり、だから買う人がいるんだと。そういう経験をひとつひとつ積むうちに「ものを見る目」そのものがだんだん変わってきたりするようです。何が美しくて、何が一見美しいけれどちょっと違うっていうのがわかるようになってくる。それがわかることとわからないことの差はすごく大きいし、この感覚を身につけてもらうのは大事だと思います。簡単じゃないですよ。初めは「これはまっすぐじゃないから不良だよ、日本には出せないよ」と伝えても反感を持つ人がほとんどですからね。どうしたら自分で考えられるようになってもらえるかは、今も試行錯誤中です。
みんながHappyになれる製品作りと、デザインというイノベーションで解決したいこと
——鮫島さんがandu ametのバッグ作りを通して実現したいことを教えていただけますか?
鮫島:2つあって、1つ目は、手にするすべての人を幸せにしたいということ。綺麗事に聞こえてしまうかもしれないけど、それができなければわざわざ起業してまでやる意味がない。手にする人というのは、作る人もお客様も、売ってくださるお店の方も、もちろん私も(笑)関わる人すべてです。そのために、ただ物を入れて運ぶための道具ではなく「驚き」と「満たされる気持ち、幸福感」、その両方を与えられるバッグを作ろうといつも意識しています。
デザインの話を先ほどしましたが、店頭ではよく「わあ、鮮やかな色で元気がでる!」「ふわふわで気持ちいい!」とかっていう歓声をお聞きするんですよ。持って幸せな驚きです。
そしてもう1つは、エチオピアにある色々な問題をデザインによって解決することです。たとえば物資の不足。実はエチオピアには、バッグを作るために必要なものがほとんどないんですよ。機械や道具、それから裏地に使う布や芯材、金具のような副資材も。でも、それをちょっとした思い切りとデザインの創意で解決しています。たとえば、バッグと持ち手の繋ぎ部分のここ。
一般的デザインだとこういうところにはロゴの入った金属プレートがあったりするのですが、残念ながらそういうものを作る機械や副資材がないので、その代わりに、日本の寄木細工の技法を革で再現した、独自のモチーフを入れてます。エチオピアには無いものはたくさんありますが、ゆったりとした時間はある。だから、逆に手間をできるだけかけようと。この寄木細工のほかにも、手編みだったりフリンジだったり。大規模工場にはできないような細かい手仕事をたくさん取り入れて差別化しています。
——一貫して、無いものを嘆くのではなくてあるものの良さを引き出して生かすというという考え方に基づいているのですね。これはエチオピアの職人さんや、関わっている方のプライドやモチベーションにも良い影響を与えそうですね。
鮫島:そうなると嬉しいですね。「andu ametで働くことが誇り」とみんなに思ってもらえるようにしたい。工場のひとつの歯車ではなく「自分はエチオピアでトップレベルの特別な技術を持っているんだ」「それで憧れの国のお客さまから喜んでもらえているんだ」と誇りに思ってもらえるように、お客様からのリアクションをフィードバックしたり、こうしてメディアに掲載されているところをみんなに見せたりもしています。
——工房ではライン式で作業を分担するのではなく、職人さん一人が一つのバッグを最後まで作り上げるというお話がすごく印象的でした。
鮫島:ありがとうございます。色々なブランドの工場をみてきた職人の方に言わせると、今時そういうものづくりをしているところはほとんどないそうです。でも、自分が職人ならそういうものづくりがしたいから。
「ラグジュアリー」は、使う人の愛があってはじめて完結するもの。だから、愛されるものを作りたい
——鮫島さんが「ラグジュアリー」にこだわり、惹かれるのはなぜなのでしょう?
鮫島:本当に良いもの以外、物が溢れている今のご時世に作る価値がないと思っていて。数で儲けるというよりは、よりいいものを作ってそこに高い価値を見出してもらうようなことをしたいと思っています。もっと言えば、本当に良いものは何なのかということを追求することが、多分私が一生かけてやっていく仕事なのだと思っています。
日本語の「ラグジュアリー」という言葉には、金銀宝石が付いていて、セレブが持っていて、みたいなイメージもありますが、私が考えるラグジュアリーというのはそういうことじゃなくて、持っているだけで満たされたり、特別だと思えたりすること。それをブレイクダウンすると、良い素材だったり、他の人と違うオリジナリティがあるデザインだったり、作る人の顔がちゃんと見えることだったり、それから製造過程まできちんとしているものを選んで買っているんだという自分への誇りだったり、そのバッグと一緒に過ごした思い出だったりするのかなと。
そういうものがぎっしりと詰まった製品を作りたいと思っています。何が本当のいいものなんだろう、何が今の時代のラグジュアリーなんだろうっていうのはいつも一生懸命考えています。そういう意味で言えば最近、それは生産者側だけじゃなくて、使う人の愛がないと完結しないんだっていうことに気が付いたんです。例えばどんなに丈夫なものでも、思い入れがなければ飽きて捨てちゃうじゃないですか。だから結局は使う人の愛なのかなって。
——なるほど!だから、その愛を持ってもらえるような良いものを作る、ということなんですね。
鮫島:そうです。スペックは大事なんですが、それは一番じゃないんだと。
——今後andu ametをどんなブランドにしていきたいですか?
鮫島:しっかり事業として拡大し、成長させていきたいというのはあるのですが、それは横に大きくっていうより、縦に高くしたい。
イタリアの革製品の工場なんかを見学に行くと、家族経営の本当に小さな町工場でも、素晴らしい製品を作ったりしているんですね。家族代々受け継がれた技術があって、有名ブランドにも供給したりして。もっとも最近は中国企業に買収されたり後継者不足などの問題があったりで、減ってきてはいるみたいですが。
私も、何十億も稼いでいくつもお店を作って、みんなが持ってるブランド・・・っていうより、小さくてもいいから世界トップレベルの革製品が作れる工房、本当にレザーやファッションが好きな人に選ばれるようなブランドにしたいなと。「エチオピア」と聞いて最初に連想するものが飢餓とか貧困じゃなくて、「エチオピアといえば最高級の美しい革製品の国だよね。andu ametとか良いよね」というイメージになったら嬉しい。そのためには、技術もサービスもデザインももっと磨いて努力していかないといけないですが。それが私の夢です。
——鮫島さん、ありがとうございました!
andu amet(アンドゥ・アメット)official website
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