現在、日本で販売されている玩具花火のほとんどは海外製品です。
海外で作られた玩具花火は安価で大量に作られます。一方で、国内の玩具花火の製造所は価格競争や時代の荒波によってどんどんと廃業に追い込まれました。現在も国内で玩具花火を製造しているのは30社ほど。
今回お話を伺った『筒井時正玩具花火製造所』は、中でも線香花火を400年前に生まれた形のまま、作り続けている唯一の製造所です。
筒井時正玩具花火製造所がある福岡県みやま市は、福岡県の南側に位置しています。緑が広がる筑後平野や矢部川の清流などの自然が豊かな地域です。
「主人の作る線香花火を見せてもらったとき、すごく衝撃を受けました。本当に美しかったんです。こんなに素晴らしい日本の花火は、絶対に失くしてはいけないと強く思いました」
そう話すのは、ご主人と共に筒井時正玩具花火製造所を営む筒井今日子さん。
職人が作る花火の美しさに魅了された筒井さんご夫婦は、ひょんなことから”デザイン”と出合い、花火の文化や伝統をアップデートしていくことになります。
世の中が変わり続ける中で、花火を、伝統を、繋いでいく思いを伺いました。
日本で唯一の”国産”線香花火
——今日子さんのご主人の良太さんは三代目だと伺いました。初代の頃から線香花火を作っていたのですか?
筒井今日子さん(以下、今日子さん):線香花火を作り始めたのは主人の代からです。筒井時正玩具花火製造所は昭和4年に始まったのですが、はじめは線香花火は作っていませんでした。
昭和50年くらいから国内の玩具花火は価格の安い輸入物に押されてどんどん衰退していったんです。親会社である線香花火の製造所も1999年に廃業することになり「線香花火は自分のところしか作ってないから、お前が技術を継いでおけ」と言われたのが主人です。
線香花火って、すごく繊細なんです。線香花火を作る技術を受け継いだにしても、極めるのはまた別の話。原料の松煙は自然由来のものだから個体差があるし、ほんの0.08gの火薬の量で全然違う火花になるんです。作るときと火を付ける時の天候の影響も受けます。
職人気質で研究熱心な主人はさらに良いものを追求していて、受け継いだ頃は毎日帰りが明け方だったんです。当時育児に専念していたわたしは毎日何をしているんだろうと不思議になって「どんな花火を作っているのか見せて」って言って見せてもらいました。
国産花火の美しさに魅せられて
今日子さん:炊事場に行って、流しで主人の作る線香花火を見せてもらったとき、すごく衝撃を受けました。何本か一緒に燃やしてるんじゃないかってくらいに玉が大きくて、遠くまでバシャバシャ飛んで、本当に美しかったんです。
わたし、縁あって花火を作る家に嫁いだんですけど、子どものころは毎日花火をしていたんです。毎日通う駄菓子屋で、夏になるとお菓子ひとつ減らして花火を買うくらいに大好きでした。
――駄菓子屋さんに花火があったんですね。
今日子さん:そうです。1本5円から花火がバラで売られていて「今日はこれ」って選べるんです。自分で花火を選んで火をじっくり見ていたので、この家に来て花火を見たときに「ああ、なんだか、すごい懐かしい」って初めて見る感覚ではなくって。こんなふうに燃えるんだろうなとかが感覚的にわかったんです。
でも主人が作っていた線香花火の火を炊事場で見た時に、わたしが子どものころに見たものと全然違うなって思いました。本当に美しくて、こんなに素晴らしい花火は輸入物と価格競争すべきじゃない、日本の良いものとして伝えようよって話したんですね。もっと日本の人たちに、素晴らしい日本の花火があるって知らせないといけないと思ったんです。
主人も自分が納得できる線香花火ができるにつれて、これまで受託生産以外にもオリジナル商品がほしいと思い始めたのもこのころです。
売り方や見せ方とか全然わからなかったんですけど、とにかくこの花火を残さないといけないと思いましたね。
デザインとの出合い
――何もわからない中で、どんなふうに進んでいったんですか?
今日子さん:ちょうどそのころに経済産業省の経営革新計画というものを教えてもらって。認定されると補助金が受け取れる制度です。制度を活用しながら新商品開発を進めようとしたと同時に『九州ちくご元気計画』が始まりました。雇用創出を核とする地域活性化プランのデザインワークの一環として開催される無料のデザイン講座を商工会で勧められて主人と受けることにしました。
でも、そのときはデザインのことを全然わかっていなくて「色彩感覚が学べるのかな」くらいに思っていたんですが、いざ参加してみたら専門学校で3年かけることを3ヶ月、週に1度の講座に凝縮させた内容だったんです。
――すごく学習内容が詰め込まれてそうですね。
今日子さん:はい。すごく充実した内容でした。内容が濃すぎたこともあって主人は毎週帰り道「もう来週から行かなくていいかな……」と嘆いていましたね。でも会社の決定権は主人にあるわけだし「最後まで頑張ったらいいことあるって先生も言ってたから」となんとか引っ張って最後まで二人で通ったんです。
――最後まで通っていいことはありましたか?
今日子さん:わたしは毎回鳥肌が立つくらいに感動して「これはもうデザインの考え方を取り入れるしかない!」 って強く思ったし、わたしも主人もデザインへの考え方が180度変わりました。デザインはかっこいいパッケージや見た目以上に考え方の問題なんだと気づくことができたし、それを依頼主となるわたしたち会社側が理解しているとのとしていないでは全然違ったと思います。
――今日子さんやご主人はデザインの重要性を理解したけれど、先代の理解もすぐ得られたのでしょうか。
今日子さん:それは……正直すぐには難しかったです。花火業界はデザインとはほぼ無縁だったんです。作った花火は印刷業者さんに頼めばデザインを起こしてもらえたし、関わる必要がなかったんですね。
だからこれまで無くても支障がなかった、しかもデザインというすぐに手元に形として現れないものにお金を使うことは大反対されました。わたしたちも重要性は理解していても説得できるほどの言葉を持っていなくて。もうこれは成功して見せるしかないと思いましたね。
――かっこいいです。デザインの考え方を取り入れようとして、デザイナーさんとはすぐに出会えたんですか?
今日子さん:『九州ちくご元気計画』を通して紹介してもらえて、今もいっしょに取り組んでいます。もう10年以上のお付き合いです。
――会社のこともお二人の考えも深く理解されているデザイナーさんなんですね。
今日子さん:ヒアリングの時間を大事にしてくれるんです。それに特に素晴らしいと思う点は、花火については手を出さないこと。3代目が職人として花火に対して強いこだわりを持っていることを理解してくれているので、花火をさらに美しく、わかりやすく見せようとしてくれるんです。
――例えばどういうことでしょうか。
今日子さん:そうですね……どんな花火にも金属が結構使われているんですけど、と何気ない会話から生まれたのが金属花火という商品です。
金属によって変わる火花の色の話をしていたら「あえて金属別に花火にしてみては」と提案してくれたんです。
他にも、小学校低学年ぐらいの子が工場見学に来たことがきっかけで生まれた『えかきはなび』という商品もあります。見学だけじゃ子どもたちも楽しくないよね、ということで最初はただ真っ白な紙に絵を描いてもらって持ち手の太い花火に巻くだけのおみやげ用だったんです。でも、みんなで持っているのを見たらすごくかわいくって、子どもたちもすごく喜んでくれました。
それをきっかけに商品開発に取り組んで、絵を描いた持ち手部分を取っておけるように絵の部分は燃えない構造にしたり、ついつい見ちゃう変化のある火花にしたりして今の形になりました。母の日や誕生日、それにプロポーズのメッセージプレゼントにされる方もいらしたんですよ。
――花火の切り取り方が新しいと感じました。
今日子さん:デザイナーさんは興味を引かせたり花火のシリーズを作ったりと花火の見せ方の提案はしてくれる一方で、火花の出方や表情といった花火職人のこだわりがつまっている部分に意見することはないんです。お互い信頼し合っているところだと思っています。
――毎年の新商品開発もそんなふうに進めているんですか?
今日子さん:そうですね。でも、10年続けていた新商品開発は今年から一旦やめることにしたんです。
玩具花火の文化を後世に伝えていくために
――新商品の開発ではないことに取り組むんですか?
今日子さん:はい。この10年で時代が変わった感覚があるんです。花火がやりにくい環境になってしまったと感じています。家の前で花火をするだけで通報されてしまうとか、法律上は花火をすること自体は問題ないのにマナーの問題もあるのでしょうけども、禁止の場所も増えている。
このままでは子どもたちが花火を知らないままに大人になってしまうし、花火という伝統や文化が途絶えてしまうんじゃないかと思ったんです。
じゃあどうやったら花火という文化をつないでいけるのかなと考えたときに、新商品開発はお休みして、もっと花火を楽しんでもらう遊び場の提供に力を入れようと。
――思い切り花火を楽しめる場所を作ろうと。
今日子さん:はい。花火をする場所がないなら自分たちで提供しようと考えて、宿泊施設『川の家』を今年の夏からオープンします。アメニティに花火をつけて楽しんでもらうことはもちろん、川遊びをしたり季節によっては山菜や野菜を採りに行って夕飯を作ったり、おばあちゃんの家に遊びに来たような田舎暮らしを堪能することができる場所です。
6月のシーズンには、ホタルが飛ぶんですよ。飛ぶというより、乱舞です。お風呂にも入ってくるくらい、間近で見られます。
――花火を含めた体験すべてが素敵な思い出になりそうです。
今日子さん:川の家も、全国へ出張したりギャラリーで開催したりするワークショップも、子どもたちに花火を伝えたい思いで取り組んでいます。
自分で線香花火を作るワークショップは、職人と同じように線香花火を撚るから、職人技を感じられる内容なんです。自分で作ってみるとすごく難しくて、だからこそ愛着が湧くし職人さんの技術の高さを感じられます。一度その体験をしたら自分で花火を選ぶときに、ふと国産の線香花火を思い出してくれるんじゃないかなって。
お帰りの際には自分で作った花火と一緒に、職人が作った花火もお渡ししているんです。おうちに帰って職人の花火と自分が撚ったものを比べると、同じ火薬と紙を使っていても火花の出方が違うことがわかるし、より一層職人の技術を体感して花火の奥深さを知ってもらえると思うんです。
一度に多くの人に伝えることはできない小さな取り組みなんですけど、コツコツ続けていくことが大事だと思っています。
これからの100年のために新しい挑戦を
――今後の活動や未来への思いを教えてもらえますか。
今日子さん:まずは線香花火を後世に受け継いでいかなきゃと思っています。線香花火の原型である『西の線香花火』は400年前に生まれてから形を変えずに続いてきました。わたしたちが作ることをやめると日本の400年の歴史が途絶えてしまうんですね。だから止めるわけにはいかないと強い使命感を持っています。
でも『西の線香花火』の原料で持ち手部分になる藁や、松煙となる松の確保も難しくて、作り手もどんどん減っているのです。なので新規就農を始めて藁のための米作りも始めたり、花火業界に関わる情報発信をする玩具花火研究所を立ち上げたりしています。
伝統を残していくことを使命だと思って、途絶えさせないようにいろんな人に協力してもらったり少しずつでも伝え続けたりして、これから100年続けていきたいですね。
もうひとつ、これからは地元にもっと恩返ししていきたいという思いが強くなってきています。これまでは主に関東の方に向かって発信していたんですけれど、地元の伝統や文化を大事に守って地元にしっかり根づいていきたいなと思います。
この夏の思い出づくりにぴったりな玩具花火
持ち手に自由に絵を描くことのできる「えかきはなび」。花火を楽しんだ後、持ち手を思い出のアイテムとして手元に残しておくことができます。思い思いに絵やメッセージをかいて、この夏の思い出を大切に残しませんか?数年後、きっとその時の思い出話に花を咲かせてくれるでしょう。